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umbilical cord|大橋愛(eye ohashi)

3,850円

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掌に収まるほどの写真集だが、開けばそこに広がる世界は壮大かつ深遠だ。3億年前から積み重なる地層、高い塩分濃度のために魚も生息できない湖、解体された猪の内臓、赤い布の上の今にも泣き出しそうな嬰児—大橋愛が、多岐にわたる場所で10年の歳月をかけて撮り下ろした119枚の写真。付されたタイトルは「へその緒(umbilical cord)」という。 「気になるものを撮り集めておく」*ことから始まったこのシリーズは、近年の大橋の関心が「命」へと向けられてきたことを顕にした。「死の縁から生を、生のそばから死を覗く」**試みである「piece」から12年。生死について、写真家の思考はより深められ、さらに言語化や可視化が難しい領域に分け入ったようだ。 しかし、作品は難解になるのではなく、むしろ見る者に開かれたものになった。これまで数多の表現者が扱ってきたこの普遍的なテーマを、大橋は重々しく語るのではなく、「見たい」という目の欲望に素直に応える形で描こうとしている。昆虫の羽を透過する光や瑞々しい水滴、または亜鉛の結晶と桜が類似形である不思議も、その欲望の強さを反映するかのように視覚にダイレクトに訴えかける。単眼的になりがちな物語化、説明的な記録になることも、写真家は慎重に避けた。起承転結はなく、どのページからスタートしても成立するほど全ての写真は等価であり、スマホでスクロールしていくような気軽さで頁を捲ることができるよう造本されている。繰り返されるモチーフ、形や色。 どこかで見た風景のようにも思える。走馬灯のように現れては消えていく一見ばらばらなイメージは、しかし、さまざまに連鎖している。東京を照らす日差しも、9100km離れた地層に降り注ぐ陽光も、その光源は一つなのだ。 さらに言えば、これは単純な生命讃歌ではなく、命を持つことの怖さもまた浮き彫りにしている。自分の命を輝かせるためには別の命を奪い、食さなければならないという事実に納得できる答えはあるのだろうか。そもそも誰もが生まれてきたいという意志の元に、生まれてきた訳ではない。いわば与えられてしまった命を大切にしなくてはならない理由というものに、腑に落ちる説明は可能なのだろうか。 この作品は、こうした問いに正答を示すものではない。しかし、大橋が長きにわたり、海をも越えて懸命に掴み取ってきた写真が生み出すレゾナンスは、生命が誕生した遥か昔から、気が遠くなるほど繰り返されてきた「生まれる」という奇跡の連なりに、私たち誰もが繋がっていることを静かに伝えている。「へその緒」を断たれた時、私たちは目に見える唯一の絆を失い、不確かな時空に放り出される。存在の有無さえ曖昧な繋がりをたぐり寄せながら、「命」の連鎖の中に自らを位置付けていくことこそ、生の肯定に他ならないのだ。 (菊田樹子・写真集掲載テキストより)

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